ファーストラブ / 島本 理生

  • 読了日: 2022/06/15
  • 出版日: 2020/02/05

第159回直木賞受賞作。

ざっくりあらすじ

臨床心理士の由紀と弁護士の迦葉(かしょう)が父親を殺した女子大生に向き合いながら自分たちの過去も解していくストーリー。登場人物の仕事柄ロジカルに感情や心理を説明しやすく、客観的な心理描写にしっかり筋が通っている。

感想

メンヘラの解像度が高い。ドロドロした感情が見えるやつは好きだけどメンヘラムーブを客観視して冷静に分析するやつはあまり得意ではない。

読んで最初の方で「父親から性的虐待を受けていそう」と思ったが、やはりそうであった。直接的な性的虐待ではなかったけど。

読んでいてすごく女の人が書いた話というのが分かりやすかった。「思い描く大人の女の恋愛」みたいなテンプレートを感じた。なんなら少女漫画のような感覚も読んでいて少しあり、出てくる2人の男(迦葉と我聞さん)はカードキャプターさくらのお兄ちゃんと雪兎さんみたいなキャラクターの立ち位置と重なる部分はあるなと思った。男だけは少女漫画に出てくるキャラクターみたいで女は解像度の高い現実の人間。

女の人の悪いところを全部描いたような本で、男はほとんど記号としてしか描かれていないように思える。このところも少女漫画みを感じる感じる点の一つ。

キャラクターについて特に言及すると、環奈を見ていると「私が悪かった」と言うことで他の人の同情を買おうとしているように感じる。被害者面あるある。自分が悪いことにしてすごく反省している素振りを見せれば「これだけ私は悪いと思っているのに許してくれないやつ」というレッテルを貼ることができる。相手と精神的に優位に立とうとする振る舞いだろうか。自分も女の人にこの振る舞いをされたことがあるので解像度の高さを感じた。

と、悪いように書いているけれども小説としては面白かった。面白い小説でなければこれほど感想は書かない。この作品が自分の好みであるかと問われると少し微妙だが、同年代の女の人には勧められる本のように思う。

民主主義のつくり方 / 宇野重規

  • 読了日: 2022/06/09
  • 出版日: 2013/10/15

結局どうやって民主主義をつくるの?

民主主義と言えば一般市民の意志を政治に反映させるもの。しかしそもそもこういう民意っていうのは最初から固まっているものではないことが多い。むしろ行動から始めてゴール地点に辿り着いた段階で「あ、これが自分の意志だったんだ」と感じることもままある。

つまり、「これで社会(大なり小なりあるけども)が良くなる」と思って行動する個人が増えていくと理想の?民主主義社会をつくれるということになる。

この行動を考えるにあたってプラグマティズムが重要になってくる。行動というか習慣。結果を考えてから実践、ではなくとりあえず行動してその結果で考える、がプラグマティズムのざっくりした理解。

この行動の例として、日本の若者による地域復興の話がされている。

「民主主義的に話し合いで決めよう。そして多数決しよう。」ではなく「とりあえずやってみます」で行動してからその結果を元に考える。というのが理想かもしれない。

感想

文章が分かりにくい。平易ではない。

たまに話がやたらと広がることがある。広がりすぎて言いたいことが分かりにくくなる。

結論を言う前にダラダラ説明している部分が多い。つまり結論が見えている人にはよく分かる本なのかもしれない。分かる人が分かる人に書いた本。

自分の知識が不足していて解像度が低いだけの話ではある。パースさんが出てきたあたりがちょっとキツかった。

中盤がしんどいけど最後まで読みすすめるとなんとなく分かるようにはなる。

2022年5月読んだ本

漫画、小説、ビジネス書、教養書。漫画は全巻読んだものか新刊を買ったもののみ。中途半端に読んだものは含めていない。

  • [教養] NHK出版 学びのきほん 自分ごとの政治学
  • [ビジネス書] INSPIRED
  • [漫画] 奴隷エルフと商人
  • [漫画] 呪いと性春
  • [漫画] 魔術師A
  • [小説] グラスホッパー
  • [漫画] ザ・ファブル The Second Contact (3)
  • [漫画] 化物語 (17)
  • [漫画] 科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日誌(10)
  • [漫画] ちぬれわらし 上・下
  • [小説] 閃光のハサウェイ 上・中・下
  • [漫画] ユートピア
  • [漫画] ビューティフルプレイス (1)
  • [教養] インターネットは言葉をどう変えたか
  • [小説] 人間腸詰

[教養] NHK出版 学びのきほん 自分ごとの政治学 / 中島 岳志

asmsuechan.hatenablog.com

[ビジネス書] INSPIRED / マーティ・ケーガン

asmsuechan.hatenablog.com

[漫画] 呪いと性春 / 文野紋

衝撃。依存性欲愛情背徳がグチャグチャに絡み合ってる。こういう作品ほんと好き。

拡声器で教えを垂れ流す宗教団体の車とそれに被さる雨の音という表現が好き。

神様になりたいという欲求があったが、それは自身が救いを欲していたことの裏返しで、この意識の切り替わりが宗教カーが通り過ぎるタイミングで起こった。まくしたてるように喋っていたのが一転して口数が少なくなる。まさしく転換。表現がうまい。

依存させているつもりが依存していた。

[漫画] 魔術師A / 意志強ナツ子

2人の登場人物で話が進む。1人はくすぶっている日常に不満を持った人、もう1人は特別な何かを持っていそうな人。基本的にくすぶっている方が主人公。最初はその特別に憧れて依存しかけるが、結局捨てられる。自分だけが特別でないことに気付き、特別だと思っていた行為は結局自分を性的に消費するだけのものだったと察する。

欲望と願望。

空虚は埋まらず救いはない。澱として一生残り続けるだけの出来事になる。

癖のある本だけど結構好き。

[小説] グラスホッパー / 伊坂幸太郎

asmsuechan.hatenablog.com

[漫画] ユートピアズ / うめざわ しゅん

常識が根底から変わった上に理想が画一化された日本が描かれている。面白い。ユートピアを追求するとディストピアになってしまうのが割と描かれている。

12年意識がなかった人の話。
被害者面して極端な意見を言ってくる人にいちいちマトモに取り合った結果極端な注意書きができる結果になった。

なるほど理想郷というタイトルになのも頷ける。実際のユートピアは窮屈なんだろうな。

全国民が「理想とする国家の形」を同じくしてしまった結果どんどんその理想に合わせてしっかりと国の雰囲気が形成されてしまった。つまり自由度がほとんどなくなった。

全員が同じ理想を共有しているので国が強権を発動しても不満の声が出ないので問題にならない。つまり完全な管理社会が見える。これはもうディストピアでは?

  1. つながった世界. 自分を表現して他人にひけらかすことを強制された世界。他人が心に土足で踏み入ってくるようになる。最後のコマの「そして”私”はどこにもいない」というのはそのとおりだと思った。これもやっぱり理想郷かと思ったらディストピア

7.ヘイトウイルス. 憎悪の感情がウイルスによってもたらせられ、その解毒方法も確立されているのならば確かに憎悪による殺人は裁かれなくなるのかもしれない。刑罰は反省して同じ罪を犯さないようにするためのもので、ワクチンで憎悪の感情がなくなるとなると、国としては社会に出て働いて税金を納めてもらったほうが最適になる。

と、思ったらヘイトウイルスなんてなくて教育や洗脳によってそういう前提を作り出しているだけなのか。すごい。まさしく理想郷。

お笑いのやつは作者の個人的な趣味の理想郷かなw嫌いではない

[教養] インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の<言語>地図 / グレッチェン・マカロック

asmsuechan.hatenablog.com

まとめ

インターネットは言葉をどう変えたか、にかなり時間をかけた。面白かったけどもう少しサッと読みたかった。

技術書0冊は望むところではない。

今月のザ・ベストは呪いと性春かな。

インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の<言語>地図 / グレッチェン・マカロック

札幌のホテルのテーブルで

  • 読了日: 2022/05/28
  • 出版日: 2021/09/25
  • 原著出版日: 2019/07/23

カジュアルな言葉

「書くという行為は、わたしたちの日常生活に欠かせない会話の一部になったのだ。」前提としてインターネットの普及がある。

インターネットの普及により文字を書く量が爆発的に増えた、というのは本当に正しいのだろうか。確かにカジュアルな場面では書くことが増えた。けどそれ以外、板書だったりビジネス文書だったりはさほど変わってないのでは?だいたいの人間はネットしないし書き込まない。増えた書く文字の量というのはそこまで多くなさそう。

著者はインターネットを拠点とした言語学者で、絵文字の急速な市民権の確立、年代による句読点の打ち方の違い、ミームはなぜ変な言葉なのか、について

インターネットの言葉は現実の文章と違って未編集で著者一人の言葉であることが多い。

また、インターネットの文書は解析しやすい形で残ってくれる。現実だと音声処理とか古い紙に書かれた文字認識をしなくてはならない。そしてサンプルが分析しやすい一部の人間が残したものに偏ってしまう。

ネット言葉は書き言葉でありカジュアルでもある。これはインターネット普及以前はなかった。

絵文字やGIF画像は、周囲の出来事を説明するよりも自分の心情を説明するための自己表現の手段として使われることが多い。

言葉は良いも悪いもなく変化し続ける。何十年か経った後に振り返ると今使われている言葉は画期的だと思われることになる。

言語と社会

自分の言語的特徴は周囲の人からの影響を受ける。

方言が最たるもの。今はTwitterの位置情報付きツイートを集めて方言のマップを作れる。英語の話だけど。日本語だと分かち書き不可能とかいう問題があって解析も大変そう。

「カジュアルな書き言葉で単語のスペルの綴り直しが行われるときは、そこにたいていなんらかの目的がある」自分本来の話し方をどうにか文字で表現しようとすると文字が変わる。

例えば高校のヒエラルキーの間でも発音に違いが出ていた。英語だと母音の発音に違いが出ることがあるらしい。

確かにTwitterの書き言葉でその人がどのあたりに属しているか推測できる。

なるほど人は使う言葉によって自分のあり方を規定したがる面があるのか。面白い。

「人間は、自分と関心や人口統計的な層が似ている人々をまねようとするのだ。」あるべきと思う集団に馴染むような言葉遣いをするのか。

確かに思春期は新しい語彙を獲得しがちかもしれないけど、これは社会的集団の移動に伴うものという側面がある。人間はライフスパンの最初の1/3を新しい語彙の習得に使う。このライフスパンは人生だと80年とかだし、オンラインコミュニティであれば3年の利用期間かもしれない。つまり新しいことを始めて新しいコミュニティに属するようになると使う言葉も変わることになる。

言語の変化にも性別による差があり、変化の9割は女性がリードしていると推測されている。

弱いつながりしか持たないコミュニティの言語は変化が速い。例えば英語など。弱いつながりの言語から言葉を借用している。

英語は最近だとShe/HeじゃなくてTheyを使う、とか。

弱いつながりと強いつながりの言語の歴史的な変化をコンピューターでシミュレーションした研究があるらしい。ジュジャンナ・ファギャルという言語学者が研究していたとのこと。興味深い。

弱いつながりは言語が変化しやすいので、言語の変化についてデータを取ろうと思ったらFacebookなんかよりTwitterの方が適している。

「経済的・人種的に阻害された若者には、独特の言語体系がある。」「トレンドに乗っかる企業に取り上げられたりして、主流文化と十分に結びつけられたとたん、流行に敏感な若者たちにとっては魅力がなくなり、また流行のサイクルが一から始まるのだ。」日本だとネットスラングがJKに拾われて一般に広まるやつだ。

「オンラインでどの言語圏と親しんでいるかはともかく、わたしたちはみなインターネット言語の話し手にちがいない。わたしたちの言語の形は、文化的文脈としてのインターネットに影響を受けるからだ。」

「人々がインターネット・スラングを使って行っていることは、スラングを否定する人々が思っているよりもずっと繊細だ。(中略)ティーンエイジャーは実際にはあまりインターネット・スラングを使っていないことがわかった。(中略)むしろ、ティーンエイジャーの行動はそれよりも洗練されていた。」へーおもろ。我々が想像する若者言葉というのは若者らしさの虚像を見ているにすぎないのか。大人が考える若者像。

shall, says, mustなどはティーンエイジャーの会話に出てきにくい単語。これに対応する新しい単語というのがgoing to, is like, have to, soなどになる。つまりティーンエイジャーが言葉を略そうとしてlolやomgを使っているという説に疑問の余地が出てくる。

インターネット人

「人々が書く行為を通じて自分自身を存在させている世界においては、あなたがどういう文章を書くかと、あなたがどういう人間なのかが、等しい意味を持つのだ。」刺さる。特にオンラインコミュニケーションがメインになった昨今では。

インターネットのコミュニティに参加するようになったのは中1の頃かなあ。ヤフーチャット懐かしい。

「2000年代初頭のティーンエイジャーのインターネット利用について振り返ったある論文は、当時のインターネットがオフラインの社会構造をそっくりそのまま反映したものだったことを強調した。」なるほどこの時代からして日本とはだいぶインターネットに対する印象が違ったのか…こりゃ差もできるし埋まらないのでは。この時代からアメリカではインターネットをリアルと結びつけていたらしい。だから彼らはFacebookの初期ユーザーになるのに抵抗がなかった。

「彼らにとって、頭字語や顔文字といったインターネット・スラングは、なじみがないだけでなく、自分が属したくもない集団に属していることのサインにもなってしまう。」

口調のタイポグラフィ

句読点のあるなしによって口調が変わる。語尾に?があると尻上がりになり。があると尻下がりになる。

日本語だと「こ ん に ち は」みたいにスペースがあると圧を感じる表現になる。これも口調のタイポグラフィの一種だろう。

日本語の例が出てきた。語尾に〜をつけて柔らかい印象にする表現、中国語や韓国語でも取り入れられているらしい。知らなかった。

確かに中国ネットで~は見るな。

「皮肉は、皮肉にも、誠実さの息づく余地を生み出す。」かっこよい。

絵文字とその他のインターネット・ジェスチャー

「書くという行為は、その言葉から肉体を取り除く技術だ。」なるほどね。

句読点だけでは肉体的に感情を表すという点に欠けている。これを補うのが絵文字になる。

ジェスチャー言語学ってジャンルがあるのか。

💩なるほどこの絵文字に笑顔が付いているのには理由があったのか。

懐かしいなガラケー時代に絵文字が微妙に違ってたの。いや絵文字あんまり使ってなかったけど。

「エンブレムは、ジェスチャーとデジタルの両方において、アフリカ系アメリカ人の文化の盗用の繰り返しで成り立っている。」そしてそれを更にアジア人が盗用するってわけね。

ラベル付けされていないジェスチャーは言葉だけで伝えるのに難儀する。話していて抑えられないのはこの具体的な呼び名がない方のジェスチャー。発話に伴うジェスチャや図解的ジェスチャーと呼ばれる。

「実際、長い絵文字の列を使って定期的にコミュニケーションしている唯一の人々は、読み書きのできない子どもたちだった。」これは読み書きを習う前という意味なのか、貧しさを象徴しているのか。子どもって言ってるから習う前なのかな。

同じジェスチャーの繰り返しはビートと呼ばれる。絵文字のビートと同じリズミカルさが重要になる。例えば👍👍👍とかは指を立てるジェスチャーを繰り返したり何秒かそのままにして強調するときのものを表す。

日本の顔文字についても触れられている。日本の顔文字の目が強調されているのは、欧米とアジア圏の文化の違い。アジア圏は目で相手の感情を推し量るが、欧米では口を見る。

(T_T)と(^_^)目が違う。:) と :( 口が違う。なるほど。体で表す絵文字は英語話者でも流行した。(╯°□°)╯︵ ┻━┻は2011年ころかららしい。

emojiが受け入れられたのは、既にemoticon(emotion + iconで顔文字の意)が使われていたからかもしれない。

あー、あと絵文字が流行りだした2000年代当時は日本市場はまだまだ大きくて無視できない頃だったのか…だからgmailなんかも対応に迫られた。

「フィクションを多く読む人々は、主にノンフィクションしか読まない人々や、まったく読書しない人々と比べて、心理状態ゆ理解する能力が高いことが、研究からわかっている。」へえ。

会話はどう変化するか

「人間の話し方は青年期後期までにほぼ確立することがわかっているが、特に言語の正式で格式の高い部分に関しては、中年まで変化していく場合もある。」格式の高い場面に遭遇する頻度が中年まで上がるから?青年期以降は今までの友人と似た人としかつるまなくなるから?

意味深なTwitterFacebookへの発言はsubtweeting(意識下のツイート)、vaguebooking(あいまいなフェイスブック投稿)と呼ばれるらしいへえ。例えば曲の一節なんかを投稿して暗に失恋したことをほのめかす投稿とか。

特にネガティブな情報を伝える手段としては許容されたものとして使われている。

ミームとインターネット文化

ミームは集団ありき。例えば自分がミームを発するときは他の人が面白がることを期待している。

ミームの創造が簡単になりすぎると、ミーム創造の文化そのものが希釈されてしまうのではないか、と心配していたのだ。」そもそもミームは特定のコミュニティへの所属を意識したものなので多少排外的になりやすいのかな。

ミームの魅力とは、自分が部内者たちのコミュニティに属しているという感覚にこそあるのだ。」確かに。例えば会社の特定のチームにだけ使われる、コンテキストを多く含んだミームなんかもある。

よくみるイッヌ、日本人の飼っていた犬だったのか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Doge_(ミーム))

「インターネット文化自体に基づくミームの最大のメリットは、インターネットをひとつにするという点だ。一方のデメリットは、部内者と部外者を強制的に線引きしてしまうという点だ。」

「そう、ミームは死んだのではない。生まれ変わったのだ。」なるほどね。ある集団で使われなくなるミームがあっても、別の集団で形を変えるかしてまた使われるのか。「その創始者集団にとって見れば、本当に死んだのだ。」

「タンブラーの「ミーム司書」であるアマンダ・ブレナンのように、先進的なミーム学の分野でフルタイムの仕事を持つ人々もいるくらいだ。」そういう仕事もあるのか。

ミームは、人々の積極的な参加が必須条件なので、「一見すると未完成で、粗雑で、素人っぽく、奇妙な動画のほうが、人々にその穴を埋めたり、難問を解決したり、製作者を模倣したりするよう促す効果が高い」わけだ。」確かに。拡散される動画は粗雑なことが多い。

「作者はひとりだけであり、しかも原作者に限る、という現代の西洋的な考え方は、比較的新しく、文化的に普遍的なものともいえない。せいぜい、忠実で正確なコピーが大量にできるようになってから確立された概念だ。」確かに。口頭伝承の時代なんかはそれぞれが自分の気持ちを乗せて伝えていたんだろうなあ。

新しい比喩

辞書が言語の定義であるとみなされてきた時代があった。その理論で言うと今はインターネットが言語の新しい定義、つまり言語を表す比喩となるのではないのだろうか。ということが書かれている。

自分が属するボキャブラリー圏以外の言葉を拒否する人は多い。

例えば「エモい」という単語についてのヤフーニュースが炎上していたことなどがあった。

辞書は言語を形作るものではなく、我々が話す、変わり続けるものの方こそが言語になる。

新しい言葉のすべてがインターネット用語というわけではない。そもそも若い世代はオフラインのコミュニティのコミュニケーション手段としてインターネットを使うことが多い。つまり若者の生きた言葉がインターネットで使われているだけのことが多い。

言語は書き言葉よりも10万年くらい古い。これだけ言葉が絶えず続いてきたのは言語が変化を許容しているから。もし親が子に自分の言葉をそっくり真似させていたら言語は脆く壊れやすいものになってしまう。言語は柔軟で強力。

感想

15時間くらい読むのに時間がかかった気がする。360ページほとんど文章だけでびっしり。結構読むのに体力を使った。

そもそも自分は大正時代なんかの小説を読んだり、昔の人の手書き文字を見るのが好きだったりするので、言葉の変化に対しては興味があった。この本ではインターネットの発展に伴ってインターネット上の書き言葉がどう変化してきたか、について言及されていて、自分の興味と合っていた。書き言葉で自分を表現することの多いネットオタクはまた別の言語文化になっていそう。

インターネット文化の理解という点においてもいい本であった。翻訳者に感謝。あと、著者がやってるポッドキャスト、聞いてみよ。

グラスホッパー / 伊坂幸太郎

  • 読了日: 2022/05/10
  • 出版日: 2008/02/01

あらすじ

恋人を飲酒運転事故で殺された鈴木、殺した人の幻覚が見える殺し屋の鯨、操り人形のように言われるがまま人を殺す蝉、の3人の視点で話は進む。

恋人を飲酒運転で殺された鈴木は復讐のために犯人の父親が経営する非合法な会社に入社した。しかし犯人は押し屋に押されて轢き殺されてしまった。この鈴木が追った押し屋は槿という、只者ではない雰囲気を纏った男だった。槿は家族4人で暮らしており、鈴木には槿が悪人であると思えず組織への報告を拒否してしまう。

組織は鈴木を拉致し拷問して槿の居場所を吐かせようとするが、そこには殺した人の幻覚が見える殺し屋の鯨と操り人形のように言われるがまま人を殺す蝉が向かっていた。

感想

場面や行動の描写が多く、内面描写が少ない。確かに読みやすいしストーリーのうまさは感服するのだが、リアルな人間のドロドロとした内面を描写しているわけではないので物足りなさを感じた。

途中まで読んで、小説を読んでいるというよりかは映画を見ている時に近い感覚ことに気づいた。確かに伊坂幸太郎作品は映画がヒットするし面白い。描写の細かさが脚本に近いのかもしれない。

殺人者がメインに据えられている作品なのに人が死ぬ描写がやたらあっさりしていることがとても気になった。生き物はちょっとやそっとじゃ死ななくて、腹刺されたくらいだったら1分は反撃することができるという点が考慮されていない。このあっさりさも読みやすく一般人ウケする、つまりヒットしやすい作品の特徴なのかもしれない。個人的には最終的に登場人物全員死んで欲しかった。

復讐やら人殺しやら組織やら、ガンダムからロボ要素抜いて薄めたみたいなストーリーだな、と。以前(と言っても10年程前)は伊坂幸太郎作品をたまに読んでいて嫌いではなかったが、今は趣向が変わった模様。

INSPIRED 熱狂させる製品を生み出すプロダクトマネジメント / マーティ・ケーガン

  • 読了日: 2022/05/07
  • 出版日: 2019/11/01

読み返したい部分

  • Chapter7: リーンとアジャイルを超えて
  • Chapter25: 製品ビジョンの減速
  • Chapter 31: 製品に関するエバンジェリズム
  • Chapter 39: 顧客発見プログラムのテクニック
  • Chapter 61: ステークホルダーを管理する
  • 第5部: 成功するための文化

読み返すときは↑のChapterとマーカー部分を読む。

どんな本か

「本書は、プロダクトマネージャーを対象にしたものだ。」と明言されている本。しっかりターゲットを明言してくれているのには好感がもてる。

書かれているのはPdMとして開発チーム(≠エンジニアチーム)を率いるための検証方法やチームについて。

「読んですぐ効く」類のテクニック紹介本ではなく、冒頭にも書かれているがPdMの役割を根本から説明している。なのでテクニックを紹介した本や記事と一緒に読むといいかもしれない。

読むと良さそうな人

ソフトウェア(ハードウェア)エンジニア、UI/UXデザイナーなどIT製品の開発に携わる人。

ただ、ある程度大きな組織(特にメガベンチャーなど)に属してアジャイルスクラムを駆使してIT製品を作っている人だと前提知識もある程度あるだろうし、読んで身になる本だと思う。つまり人が2人しかいないスタートアップみたいな組織だと書かれている原則はあまり有効ではない。このフェーズだともっと他の筋力の方が重要になってくる。

プロダクトマネージャーになるつもりがなくてもPdMと一緒に仕事をするのであれば知っておいたほうがいいことが書かれている。よいメンバーでいるためには他のロールの人を理解する必要がある。

まとめ

リーンやアジャイルを標榜するもMVPが待てど暮せどできないし売れるかもわからないような現場はままある。これはアジャイルではない。では優れた開発チームではどんな事をしているのか。これには3つの原理がある。(1)リスクは最初に潰す。売れるか?できるか?使えるか?法的に出せるか?など。(2)製品の定義とデザインを強調させて行う。(3)実装することではなく問題を解決することが大事。(Chapter7より)

「プログラミングの技術を身に付つけるのは、(中略)エンジニアとうまく関わり、エンジニアと協力する能力を大きく向上させるためである。」大事。これはエンジニア側にも言えて、リーダーシップやマネジメントを理解し歩み寄ることはチームで働く上で必要。よりよいメンバーであることは他のロールを理解することで生まれる。

製品ビジョンを考える上での原則(Chapter25)はプロダクトの未来を考えるうえで意識すべき項目がうまくまとまっている。ここは訳者後書きでも言及されていた。

Chapter31、「製品に関するエバンジェリズム」、モノづくりにおける夢のある話の大事さが書かれている。ここでまとめられている内容がPdMに重要な心構え概略、のように見える。ここを頭に入れるだけでもPdMとの関わり方は良いものになりそう。

Chapter39のリファレンスカスタマーの節、最初の協力的な顧客を見つけることについて書かれている。ここが成功すれば最初の軌道には乗りそう。「このプログラムのために4つか5つのリファレンスカスタマーを集めることにすら苦労しているなら、あなたはそれほど重要ではない問題を追いかけている可能性が高く、ほぼ確実にその製品の販売はうまくいかないだろう。」(Chapter39より) Burning needsの話がこれ。

「ある人をステークホルダーと見なすかどうかの実際的なテストの1つは、拒否権を持っているかどうか、言い換えれば、開発チームが仕事をスタートするのを妨げられるかどうかである。」Chapter61より。なるほどね。

第5部は良い開発チーム・悪い開発チームとは何かについて書かれている。多くは語らないが分量も少ないのでたまに読み返したい。良いチームの一員であるための自分の行動を考えるきっかけになる。

感想

「成功するプロダクトマネージャーは、飛び抜けて頭がよく、創造的で、粘り強い人間である。」って書いてあったのは笑った。一般的に相当優秀な人やんこれ。

今の自分のフェーズ的に、Part2のチームビルディング関連の話はあまり刺さらなかった。

本の文量について、もう少し短くまとめられるのでは?と思う。海外の(英語で書かれた)ビジネス書はくどいし長いしエッセンスがぼんやり散らばりがちだと思う。1度通して読むときにまた読みたい部分をメモ、そこは何度か読む。あとはネットで見つけた要約とか読書メモを読めば良さそう。通読は年1で十分。

有名な本なのでネットでいろんな人がエッセンスだと感じた部分を探すと吸収しやすそう。

自分が感じた最初に読んで感じたエッセンス: 「問題を発見したらとにかく早くユーザープロトタイプを作るかインタビューするか何かしてニーズを見極めるのが一番大事。データを集めればそれがそのまま説得力になる。」それはそうという感じだが、この本には左の「プロトタイプを作るかインタビューするか何かして」つまり事業実現性のテストの部分が詳しく説明してある。

最近の仕事で新規サービスのチームと関わっていたので刺さりどころが多かった本。「じゃあどう活かすか?」は複数回読んでから考えるところということで。

NHK出版 学びのきほん 自分ごとの政治学 / 中島 岳志

  • 著者: 中島 岳志
  • 読了日: 2022/05/01
  • 出版日: 2020/12/25

どんな本だったか

政治入門の薄い本。2時間以内に読み終わる。結論だけをざっくりまとめると「SNS等で政権批判をするよりも自分の身の回りで起こっている物事(野菜の値上げとかそういうの)を落ち着いて自分の頭で考える方が政治を考える上では有用」というもの。

まとめ

「我思う故に我あり」は、自分の存在の根拠が神ではなく自らの理性にあるという考えを元にしている。この考えの広まりによって、「理性の持ち主である国民こそが主権者だ」という思想が生まれフランス革命が起きた。これが国民国家の始まり。

左派はこの合理主義を信奉する人たちにより構成される。合理的な行動を続けることで世の中をより良くしていこうと前進させ続けようという考えの派閥。大きく分けると国家がこれを実現させるタイプと、権力に頼らず個人の力で平等社会を実現するタイプ。前者は共産主義社会民主主義が例として挙げられる。社民主義は投票で選ばれた代表者が富の再配分を行い貧しい人にも豊かさを与えるというシステムを目指している。後者の例は極端なものだとアナーキズム(無政府主義)が挙げられる。これは自立した個人によって運営されるコミューンさえあれば暮らしていけるという考え方。

では右派は何かというと、過去に重要な叡智があり、それは今よりも素晴らしいものであるため世の中を良くするためにはその状態を取り戻さねばならないという考えの派閥。右派にも2つの立場があって、右翼と保守がある。右翼は原理主義と言い換えが可能で、特定の過去に対する回帰の念が強いという特徴がある。例えば日本なら万葉の時代、あるいは天皇の大御心にすべてが包まれていた世界へ回帰しよう、国体を取り戻そう、という考え方がされる。右派はこのように理想社会を過去に見出し、左派は未来に向けて社会を進歩させようとする。

次に、保守は世の中の変化に合わせてゆっくり変化していくことが大切だと考える。理性は信用に足るものではなく、むしろ過去に培われた経験知などに重要な叡智がある。物事を一気に変えるのは理性に対する過信、うぬぼれである。ただ、状況は変化するのでその変化に合わせて徐々に改革することが重要になる。つまり保守するための改革が必要になってくる。

現在の左右の考え方は今までと違ってきていて、左派に合理性に対して懐疑的な意見を持つ人が増えてきている。なので最近では左右の違いにあまり大きな意味がなくなってきている。

お金をどう分配するかが政治の大きな役割の一つ。

リスクの個人化、つまり自己責任の比率が大きくなると歳入と歳出の療法が小さくなる。これは小さな政府と呼ばれる。

リベラルは自由主義で、他人の行動や思想を許すことにある。それに対してパターナルは他人の思想や価値観に介入すること。例えばリベラルなら選択的夫婦別姓には賛成のはず。これは個人の価値観に委ねるべきということになる。パターナルは国が定めている以上選択的夫婦別姓には反対する可能性が高い。リベラルは多様性に対して寛容。

日本を国際的に見ると、かなり小さな政府となる。税金は安くGDPに占める国家歳出の割合も小さい。税金が少ない分国は国民にお金を使っていない。1000人あたりの公務員の人数も少ない。よく言われている「日本は税金が高く公務員が税金を食い潰している」というのは冷静な意見ではない。

感想

本文は話し言葉で分かりやすく、説明も筋が通っていて納得できる。説得力のある文章、という感想。特に序盤は政治の基礎の基礎を説明してくれていて、知識の整理や入門には適しているように思った。

著者が自身の専門であるガンジーのことについて長めに書いているのはご愛嬌というところだろうか。ただやはりガンジーの部分で中だるみしているように感じたのでもう少し短い方が良かったように思う。

序盤では右派と左派についてフランス革命などの歴史を紐解きながら説明されていた。書かれていたのは、他人に理性や合理的な行動を期待するのが左派で、そうではなく過去の歴史から叡智を得るのが右派という解釈で、なるほどなと思った。

自分が思っている「日本にいる殆どの人間は偶然日本語に聞こえる鳴き声を発する猿」という考えは人間の理性に対して疑問を呈するものなので右派になるのだろうか。

自分は基本的には自分の見える範囲だけが充実していればいいという考え方。なので生活保護の充実とかは気にしない。消費税増税も家計に余裕がないわけではないからさほど気にならない。

ただ、小さな政府で税金が少ないことが好ましいというわけではない。軍事費には使ってほしい。ただ、これは自衛官の知り合いが多いからここも見える範囲としているだけかも。日本の医療制度にも満足しているし。

最後は「もっと意識して日常を過ごすことで政治問題にたどり着く」という結論になっている。見えない遠くの物事を見るのではなく、手元の物事を近くで見るのが重要なのか。ネットニュースで遠くで起きた殺人事件の犯人に怒るよりも10円値上がりした野菜の値上がり理由を考えることが重要。同意。

NHK出版 学びのきほん」シリーズは短くまとまっていて他も読んでみたい。専門家が書いた同人誌、というノリの本だと考えるのが丁度いいのかもしれない。