インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の<言語>地図 / グレッチェン・マカロック

札幌のホテルのテーブルで

  • 読了日: 2022/05/28
  • 出版日: 2021/09/25
  • 原著出版日: 2019/07/23

カジュアルな言葉

「書くという行為は、わたしたちの日常生活に欠かせない会話の一部になったのだ。」前提としてインターネットの普及がある。

インターネットの普及により文字を書く量が爆発的に増えた、というのは本当に正しいのだろうか。確かにカジュアルな場面では書くことが増えた。けどそれ以外、板書だったりビジネス文書だったりはさほど変わってないのでは?だいたいの人間はネットしないし書き込まない。増えた書く文字の量というのはそこまで多くなさそう。

著者はインターネットを拠点とした言語学者で、絵文字の急速な市民権の確立、年代による句読点の打ち方の違い、ミームはなぜ変な言葉なのか、について

インターネットの言葉は現実の文章と違って未編集で著者一人の言葉であることが多い。

また、インターネットの文書は解析しやすい形で残ってくれる。現実だと音声処理とか古い紙に書かれた文字認識をしなくてはならない。そしてサンプルが分析しやすい一部の人間が残したものに偏ってしまう。

ネット言葉は書き言葉でありカジュアルでもある。これはインターネット普及以前はなかった。

絵文字やGIF画像は、周囲の出来事を説明するよりも自分の心情を説明するための自己表現の手段として使われることが多い。

言葉は良いも悪いもなく変化し続ける。何十年か経った後に振り返ると今使われている言葉は画期的だと思われることになる。

言語と社会

自分の言語的特徴は周囲の人からの影響を受ける。

方言が最たるもの。今はTwitterの位置情報付きツイートを集めて方言のマップを作れる。英語の話だけど。日本語だと分かち書き不可能とかいう問題があって解析も大変そう。

「カジュアルな書き言葉で単語のスペルの綴り直しが行われるときは、そこにたいていなんらかの目的がある」自分本来の話し方をどうにか文字で表現しようとすると文字が変わる。

例えば高校のヒエラルキーの間でも発音に違いが出ていた。英語だと母音の発音に違いが出ることがあるらしい。

確かにTwitterの書き言葉でその人がどのあたりに属しているか推測できる。

なるほど人は使う言葉によって自分のあり方を規定したがる面があるのか。面白い。

「人間は、自分と関心や人口統計的な層が似ている人々をまねようとするのだ。」あるべきと思う集団に馴染むような言葉遣いをするのか。

確かに思春期は新しい語彙を獲得しがちかもしれないけど、これは社会的集団の移動に伴うものという側面がある。人間はライフスパンの最初の1/3を新しい語彙の習得に使う。このライフスパンは人生だと80年とかだし、オンラインコミュニティであれば3年の利用期間かもしれない。つまり新しいことを始めて新しいコミュニティに属するようになると使う言葉も変わることになる。

言語の変化にも性別による差があり、変化の9割は女性がリードしていると推測されている。

弱いつながりしか持たないコミュニティの言語は変化が速い。例えば英語など。弱いつながりの言語から言葉を借用している。

英語は最近だとShe/HeじゃなくてTheyを使う、とか。

弱いつながりと強いつながりの言語の歴史的な変化をコンピューターでシミュレーションした研究があるらしい。ジュジャンナ・ファギャルという言語学者が研究していたとのこと。興味深い。

弱いつながりは言語が変化しやすいので、言語の変化についてデータを取ろうと思ったらFacebookなんかよりTwitterの方が適している。

「経済的・人種的に阻害された若者には、独特の言語体系がある。」「トレンドに乗っかる企業に取り上げられたりして、主流文化と十分に結びつけられたとたん、流行に敏感な若者たちにとっては魅力がなくなり、また流行のサイクルが一から始まるのだ。」日本だとネットスラングがJKに拾われて一般に広まるやつだ。

「オンラインでどの言語圏と親しんでいるかはともかく、わたしたちはみなインターネット言語の話し手にちがいない。わたしたちの言語の形は、文化的文脈としてのインターネットに影響を受けるからだ。」

「人々がインターネット・スラングを使って行っていることは、スラングを否定する人々が思っているよりもずっと繊細だ。(中略)ティーンエイジャーは実際にはあまりインターネット・スラングを使っていないことがわかった。(中略)むしろ、ティーンエイジャーの行動はそれよりも洗練されていた。」へーおもろ。我々が想像する若者言葉というのは若者らしさの虚像を見ているにすぎないのか。大人が考える若者像。

shall, says, mustなどはティーンエイジャーの会話に出てきにくい単語。これに対応する新しい単語というのがgoing to, is like, have to, soなどになる。つまりティーンエイジャーが言葉を略そうとしてlolやomgを使っているという説に疑問の余地が出てくる。

インターネット人

「人々が書く行為を通じて自分自身を存在させている世界においては、あなたがどういう文章を書くかと、あなたがどういう人間なのかが、等しい意味を持つのだ。」刺さる。特にオンラインコミュニケーションがメインになった昨今では。

インターネットのコミュニティに参加するようになったのは中1の頃かなあ。ヤフーチャット懐かしい。

「2000年代初頭のティーンエイジャーのインターネット利用について振り返ったある論文は、当時のインターネットがオフラインの社会構造をそっくりそのまま反映したものだったことを強調した。」なるほどこの時代からして日本とはだいぶインターネットに対する印象が違ったのか…こりゃ差もできるし埋まらないのでは。この時代からアメリカではインターネットをリアルと結びつけていたらしい。だから彼らはFacebookの初期ユーザーになるのに抵抗がなかった。

「彼らにとって、頭字語や顔文字といったインターネット・スラングは、なじみがないだけでなく、自分が属したくもない集団に属していることのサインにもなってしまう。」

口調のタイポグラフィ

句読点のあるなしによって口調が変わる。語尾に?があると尻上がりになり。があると尻下がりになる。

日本語だと「こ ん に ち は」みたいにスペースがあると圧を感じる表現になる。これも口調のタイポグラフィの一種だろう。

日本語の例が出てきた。語尾に〜をつけて柔らかい印象にする表現、中国語や韓国語でも取り入れられているらしい。知らなかった。

確かに中国ネットで~は見るな。

「皮肉は、皮肉にも、誠実さの息づく余地を生み出す。」かっこよい。

絵文字とその他のインターネット・ジェスチャー

「書くという行為は、その言葉から肉体を取り除く技術だ。」なるほどね。

句読点だけでは肉体的に感情を表すという点に欠けている。これを補うのが絵文字になる。

ジェスチャー言語学ってジャンルがあるのか。

💩なるほどこの絵文字に笑顔が付いているのには理由があったのか。

懐かしいなガラケー時代に絵文字が微妙に違ってたの。いや絵文字あんまり使ってなかったけど。

「エンブレムは、ジェスチャーとデジタルの両方において、アフリカ系アメリカ人の文化の盗用の繰り返しで成り立っている。」そしてそれを更にアジア人が盗用するってわけね。

ラベル付けされていないジェスチャーは言葉だけで伝えるのに難儀する。話していて抑えられないのはこの具体的な呼び名がない方のジェスチャー。発話に伴うジェスチャや図解的ジェスチャーと呼ばれる。

「実際、長い絵文字の列を使って定期的にコミュニケーションしている唯一の人々は、読み書きのできない子どもたちだった。」これは読み書きを習う前という意味なのか、貧しさを象徴しているのか。子どもって言ってるから習う前なのかな。

同じジェスチャーの繰り返しはビートと呼ばれる。絵文字のビートと同じリズミカルさが重要になる。例えば👍👍👍とかは指を立てるジェスチャーを繰り返したり何秒かそのままにして強調するときのものを表す。

日本の顔文字についても触れられている。日本の顔文字の目が強調されているのは、欧米とアジア圏の文化の違い。アジア圏は目で相手の感情を推し量るが、欧米では口を見る。

(T_T)と(^_^)目が違う。:) と :( 口が違う。なるほど。体で表す絵文字は英語話者でも流行した。(╯°□°)╯︵ ┻━┻は2011年ころかららしい。

emojiが受け入れられたのは、既にemoticon(emotion + iconで顔文字の意)が使われていたからかもしれない。

あー、あと絵文字が流行りだした2000年代当時は日本市場はまだまだ大きくて無視できない頃だったのか…だからgmailなんかも対応に迫られた。

「フィクションを多く読む人々は、主にノンフィクションしか読まない人々や、まったく読書しない人々と比べて、心理状態ゆ理解する能力が高いことが、研究からわかっている。」へえ。

会話はどう変化するか

「人間の話し方は青年期後期までにほぼ確立することがわかっているが、特に言語の正式で格式の高い部分に関しては、中年まで変化していく場合もある。」格式の高い場面に遭遇する頻度が中年まで上がるから?青年期以降は今までの友人と似た人としかつるまなくなるから?

意味深なTwitterFacebookへの発言はsubtweeting(意識下のツイート)、vaguebooking(あいまいなフェイスブック投稿)と呼ばれるらしいへえ。例えば曲の一節なんかを投稿して暗に失恋したことをほのめかす投稿とか。

特にネガティブな情報を伝える手段としては許容されたものとして使われている。

ミームとインターネット文化

ミームは集団ありき。例えば自分がミームを発するときは他の人が面白がることを期待している。

ミームの創造が簡単になりすぎると、ミーム創造の文化そのものが希釈されてしまうのではないか、と心配していたのだ。」そもそもミームは特定のコミュニティへの所属を意識したものなので多少排外的になりやすいのかな。

ミームの魅力とは、自分が部内者たちのコミュニティに属しているという感覚にこそあるのだ。」確かに。例えば会社の特定のチームにだけ使われる、コンテキストを多く含んだミームなんかもある。

よくみるイッヌ、日本人の飼っていた犬だったのか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Doge_(ミーム))

「インターネット文化自体に基づくミームの最大のメリットは、インターネットをひとつにするという点だ。一方のデメリットは、部内者と部外者を強制的に線引きしてしまうという点だ。」

「そう、ミームは死んだのではない。生まれ変わったのだ。」なるほどね。ある集団で使われなくなるミームがあっても、別の集団で形を変えるかしてまた使われるのか。「その創始者集団にとって見れば、本当に死んだのだ。」

「タンブラーの「ミーム司書」であるアマンダ・ブレナンのように、先進的なミーム学の分野でフルタイムの仕事を持つ人々もいるくらいだ。」そういう仕事もあるのか。

ミームは、人々の積極的な参加が必須条件なので、「一見すると未完成で、粗雑で、素人っぽく、奇妙な動画のほうが、人々にその穴を埋めたり、難問を解決したり、製作者を模倣したりするよう促す効果が高い」わけだ。」確かに。拡散される動画は粗雑なことが多い。

「作者はひとりだけであり、しかも原作者に限る、という現代の西洋的な考え方は、比較的新しく、文化的に普遍的なものともいえない。せいぜい、忠実で正確なコピーが大量にできるようになってから確立された概念だ。」確かに。口頭伝承の時代なんかはそれぞれが自分の気持ちを乗せて伝えていたんだろうなあ。

新しい比喩

辞書が言語の定義であるとみなされてきた時代があった。その理論で言うと今はインターネットが言語の新しい定義、つまり言語を表す比喩となるのではないのだろうか。ということが書かれている。

自分が属するボキャブラリー圏以外の言葉を拒否する人は多い。

例えば「エモい」という単語についてのヤフーニュースが炎上していたことなどがあった。

辞書は言語を形作るものではなく、我々が話す、変わり続けるものの方こそが言語になる。

新しい言葉のすべてがインターネット用語というわけではない。そもそも若い世代はオフラインのコミュニティのコミュニケーション手段としてインターネットを使うことが多い。つまり若者の生きた言葉がインターネットで使われているだけのことが多い。

言語は書き言葉よりも10万年くらい古い。これだけ言葉が絶えず続いてきたのは言語が変化を許容しているから。もし親が子に自分の言葉をそっくり真似させていたら言語は脆く壊れやすいものになってしまう。言語は柔軟で強力。

感想

15時間くらい読むのに時間がかかった気がする。360ページほとんど文章だけでびっしり。結構読むのに体力を使った。

そもそも自分は大正時代なんかの小説を読んだり、昔の人の手書き文字を見るのが好きだったりするので、言葉の変化に対しては興味があった。この本ではインターネットの発展に伴ってインターネット上の書き言葉がどう変化してきたか、について言及されていて、自分の興味と合っていた。書き言葉で自分を表現することの多いネットオタクはまた別の言語文化になっていそう。

インターネット文化の理解という点においてもいい本であった。翻訳者に感謝。あと、著者がやってるポッドキャスト、聞いてみよ。